第3回

カメラの歴史

カメラの原型「カメラ・オブスクラ」

「小さい穴(ピンホール)を通った光が、穴と反対側の壁に外の光景を映し出す」ということは、紀元前から知られていました。東洋では紀元前5世紀に中国の墨子が、西洋では紀元前4世紀にギリシャのアリストテレスが、この現象に気づいていたとされています。この原理を利用して作られたカメラ・オブスクラは、ラテン語で「暗い部屋」という意味です。その意味からもわかるように、初期のカメラ・オブスクラは、人が入れるほど大きいうえに、撮影する機能もなく、外の光景を映すだけの装置でした。
ピンホールの仕組み

ピンホールの仕組み

16世紀のカメラ・オブスクラ

16世紀になると、カメラ・オブスクラは著しく進化を遂げます。
1555年、イタリアのジロラモ・カルダーノはピンホールの代わりにレンズを用いることでより鮮明な画像が得られることに気づき、言及します。
1558年には、イタリアの科学者ジョヴァンニ・バティスタ・デラ・ポルタが刊行した「自然の魔術」のなかで、カメラ・オブスクラを絵画の補助道具にすることを推奨したことをきっかけに、画家がカメラ・オブスクラの中に入り、映っている像を描き写すという使われ方が広く知れ渡ります。そして、これまで人が入れるほどの大きさだったカメラ・オブスクラも次第に小型化されていきます。
画家がカメラ・オブスクラを利用して像を描き写しているところ

カメラ・オブスクラ

銀板写真の誕生

19世紀になるとより現代のカメラに近づきます。1824年、フランスの化学者ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが世界初の写真である「ヘリオグラフィ」を発明、カメラ・オブスクラの画像を定着できるようになります。ただし、感光材料としてアスファルトを使用するため、1枚の写真を撮影するのに8時間以上も掛かってしまい、実用的ではありませんでした。その後、同じくフランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと協力し、1839年、数十分程度で撮影を可能にするダゲレオタイプ(銀板写真)が発明されます。このダゲレオタイプは、銀メッキした銅板を感光材料として使用し、銀板そのものが写真になるというものでした。
ダゲレオタイプのカメラ

ダゲレオタイプのカメラ

カロタイプの登場

同じ頃、イギリス人のウィリアム・フォックス・タルボットは、ダゲレオタイプが開発されたことを知り、予てから研究していた世界初のネガ・ポジ法「カロタイプ」を1841年に発表します。この発明により、一枚のネガから複数のポジ像を得られるようになり、写真の焼きまわしができるようになります。また、撮影時間も1〜2分に短縮されました。写真は、ジョン・モファットがエディンバラのスコットランド写真協会の集まりでタルボットを撮影したものです。
ウィリアム・フォックス・タルボットの人物像

タルボット

フィルムの登場

タルボットがネガ・ポジ法を開発した後も感光材料の改良が続けられ、湿板法、乾板法などへ移行してきました。そして、1889年にジョージ・イーストマンの設立したコダック社が、セルロイドを使用したフィルムカメラを開発し、今まで大衆向けに発売されることのなかったカメラが一般庶民の手に渡り、一気に写真を普及させました。
ザ・コダック

ザ・コダック


参考文献

  • 『カメラ・オブスクラ年代記』 ジョン・H・ハモンド著 川島昭夫訳
  • 『図解 カメラの歴史 ダゲールからデジカメの登場まで』 神立尚紀著
  • 『50の名機とアイテムで知る図説カメラの歴史』 マイケル・プリチャード著 野口正雄訳

画像引用

Kazuya Tamakoshi
パーフェクトカメラのディレクション、コンテンツ制作を担当。 大手SIerにて医療系システム開発に従事した後、株式会社フランリベルを設立。エンジニアとしてプログラムを書く傍ら、趣味が高じて撮影の仕事をはじめる。